4/25(土)~5/8(金)
都市に散らばる断片が 引き寄せられ、壊れる時
恐怖分子
5/2(土)、3(日)
ビートルズの楽曲が彩る、エドワード・ヤンのデビュー短編『指望』を含むオムニバス
光陰的故事
台湾の若手監督たちが、1960~80年代を背景に子ども時代から青年期までの4つの物語(小学生、中学生、大学生、社会人)を監督した、台湾の映画会社「中央電影公司」製作によるオムニバス映画『光陰的故事』を二日間限定で併映致します。
楊徳昌/エドワード・ヤン | |
1947年、上海に生まれる。2歳のときに家族で台湾・台北へ移住。マンガ・ロックと共に青春時代を過ごすが、当時の台湾では文化的な職業へ就くことが難しく、芸術家への道をあきらめ国立交通大学で電気工学を学ぶ。その後アメリカへ渡り、フロリダ大学でコンピュータ・デザインの修士号を取得。やがて映画製作に興味を持ち南カリフォルニア大学の映画コースに入学するが1年で中退。1974年から81年までは、ワシントン州シアトルでコンピュータ・デザインの仕事をして生活をする。 シアトルの映画館で見たヴェルナー・ヘルツォークの『アギーレ・神の怒り』、そしてR・W・ファスビンダーの映画に突き動かされ、再び映画の道を志すため1981年に台湾へ帰国。南カリフォルニア大学で出会った友人で映画監督のユー・ウェイエン(余為政)の監督デビュー作『一九〇五年の冬』で脚本と製作助手を担当する。同年、シルビア・チャンが企画した二部構成のテレビドラマシリーズ『十一個女人』の1話「浮草」の監督をつとめる。翌1982年、新人監督4人によるオムニバス映画『光陰的故事』の第2話「指望」により映画監督デビューを果たす。この作品は台湾ニューシネマの先駆け的作品となった。またこの当時のヤンの家は、ホウ・シャオシェン(侯孝賢)監督をはじめ後の台湾映画界を牽引する映画人たちのたまり場になっていたという。1984年には、ホウ・シャオシェン監督の『冬冬の夏休み』に出演、またホウ・シャオシェンもヤンの『タイペイ・ストーリー』に出演している。 1983年、初長編映画『海辺の一日』でヒューストン映画祭グランプリを受賞。以後、『タイペイ・ストーリー』『恐怖分子』『牯嶺街少年殺人事件』などの作品を発表し、海外でも高い評価を得る。2000年の『ヤンヤン 夏の想い出』でカンヌ国際映画祭監督賞を受賞。この頃から癌を患い闘病生活を続けていたが、2007年6月29日、結腸癌による合併症のためアメリカ・カリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で死去。晩年にはCGアニメーション映画『追風』にも取り組んでいたが、未完成のまま終わる。生涯で短編1本と長編7本の作品を残した。享年59。 |
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『光陰的故事 / 指望』 1982年 『海辺の一日』 1983年 『タイペイ・ストーリー』 1985年 『恐怖分子』 1986年 『牯嶺街少年殺人事件』 1991年 『エドワード・ヤンの恋愛時代』 1994年 『カップルズ』 1996年 『ヤンヤン 夏の想い出』 2000年 |
前売り鑑賞券:1,300円 窓口にて販売中!(ポストカード付)